先日行った洋食屋さんで料理を待つ間だなんとなく店内を見回していると「洋食とは」と書かれたA4の額が目にとまりました。
それによると、明治になって西洋料理が日本に入りだしたのだが、始めての西洋料理は日本料理とはあまりにもかけ離れていて、庶民にはなじめない物だった。当然西洋には行ったことのない料理人は、見よう見まねで主食の米に合い、しかも日本人の口に合う西洋風の料理を作り始め「洋食」となってハイカラな料理として爆発的に広がり、今日まで続いているのだそうです。
読みながらまるで明治の建築界の話をされていると思えるほど、建築界の状況と似ているのです。
幕末から明治初めに始めて日本に上陸したのがグラバー邸に代表されるヴェランダコロニアル様式です。ほぼ同時期に北からは下見板コロニアル、その他に石造を模した木造の教会、そして富岡製糸のような洋式工場が建設されます。これらの建築は世界基準で見ると時代遅れで様式もでたらめなヒドいものでしたが、それが日本人にも分かるのにはもう少し時間が必要で、コンドルのような御雇外国人建築家の来日を待たなければなりません。しかし開国したばかりの日本人にはそんなことは分かるはずがありません。ただ、始めて目にする洋館は大工棟梁達に大きな影響を与えました。もともと大工というのは好奇心のかたまりです、ヨコハマに出かけ片っ端から洋館をながめ、地元に戻って見よう見まねで西洋風の建物を造り始めてしまいました。それが開智学校に代表される擬洋風建築です。根性のない大工はヨコハマではなく近場に出来たオシャレな洋風建築を真似して勝手に作るという連鎖が始まり、日本中にこの擬洋風建築は広がっていきます。まるででたらめな洋風らしい建築なのですが、大工の気合いと手間は十分に込められていますので、結構日本人の心を捉え戦前まで続いた日本人好みのおもしろい建築です。今も沢山残っていますので身近に見つけることが出来るかも知れません。
洋食は擬洋風建築の店で食べるのが一番と言うことになりますね(笑)
旧開智学校